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怖さの陰で忘れていたことと、怖さに慣れて忘れていくこと [いまここに]



白木蓮。

彼岸が過ぎました。



大地震から2週間経ちました。

余震というには大きすぎる揺れがまだときどきあります。

地震、津波の被災とそこから生きつづけていく厳しさは、想像を絶しています。



が、繰り返す地震に、このところふと地球の声を聴いているような気がします。



無造作に着たセーターの背中やそでまわりのねじれをあちこちを引っ張って直すように、日本列島まわりでぶつかる地殻プレート同士が互いの間にできたひずみを解消しようとしてギュッと動いて、そのあともそのまわりも少しずつあっちこっちを動かして、地球自身がうまくおさまるところを探しているような。



怖さの陰で忘れていたことでした。

どこにも、「悪意」はないのだった。

地震も津波も、それ自身は人間社会への意図などはひとかけらも持たない自然現象でした。

無垢なもの。



だからこそ人間は、耐えがたくかなしい。





一方。

福島原子力発電所の事故災害は、たった今進行中です。

徐々に、徐々に事態が進むありさまは、悪魔的です。

それはまるで、持ち続けるべき緊迫感や本質的な問題意識さえ奪っていくようです。

人間が作った、人間の手におえないもの。


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