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みなとみらい 満月 [風景]

施工中の住宅の大テーブルと椅子を確認するために
家具店「カンディハウス」に寄りました。

打合せも終わって店を出たら、満月。

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Madame Curie(2) [読書・美術]

Madam Curie  エーヴ・キュリー著 河野万里子訳 より

 実験に思わしい結果が出ないと、マリーは不幸に打ちのめされたようになった。 背中を丸めていすにすわり、うで組みをしてうつろな目をし、急に田舎の老婆になったかのように見える。 なにか大きな不幸のために、嘆いて口もきかなくなった老婆のように。 研究員たちはそんなようすに気づくと、事故か、なにかとんでもないことでも起きたのかと思い、どうしたんですかとたずねる。 するとマリーは沈うつに、すべてをひとことにして言う。「アクチニウムXを沈殿させることができなかったんです・・・・・」 公然と敵を非難することもあった。 「ポロニウムがわたしをきらっているんです」
 だがうまくいくと、心も軽く、うきうきする。 そうして元気いっぱい庭に出て、バラにも菩提樹にも太陽にも、「とっても幸せ!」と言ってまわりたいかのようだ。 科学と仲直りをし、すぐに笑いだしたり感嘆したりする。

 
半世紀以上前に家を飛び出し、米国に渡ってユダヤ系ポーランド人と結婚した叔母がいる。
その叔母が今年米国で生涯を終えた。
米国で散骨され、日本に帰ることのなかった叔母の遺品を整理していたら、古びた本の中から、子どもの描いた絵が出てきた。
疾走する少女の絵。
描いたのは叔母。
本は「キュリー夫人伝」だった。

図書館で新しい訳本を借りて読んだ。
あの絵を見なかったら、死ぬまで読むことなく終わるところだった。

読むことができて本当によかった。







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Madame Curie [読書・美術]

Madam Curie  エーヴ・キュリー著 河野万里子訳 より

非凡な業績を前に、ためらいと、諦観と、謙そんに終始した彼女自身は、ほんとはそれを、どのように思っていたのだろうか?

〈マリー・キュリーより姪ハンナ・シャライへ 1913年1月6日〉

・・・私はどの時代でも、人はおもしろく有意義な人生を送れると思っています。 肝心なのは、与えられた人生をむだにせず、〈わたしは自分にできることはやった〉と自分自身に言えるようにすること。 
周囲もそれ上は要求できませんし、ささやかな幸福を手にするためにも、これはただひとつの道です。 
 去年の春、うちの娘たちは蚕を飼いました。 わたしはまだとても体調が悪くて、何週間もなにもできず、蚕が繭をつくろのをじっと観察していたのです。 それがとってもおもしろかったの。 活発でいっしょうけんめいな蚕たちが、熱心に我慢強く繭をつくっていくようすには、ほんとうに感動しました。 そうして「わたしも同じ仲間だわ」と思ったのです ー 仕事に対しては、わたしのほうがずっと手ぎわが悪いとしてもね。 蚕たちと同じように、私もいつもひとつの目標にしんぼう強くむかっています。 そこに真実があるという確信は、少しも持てないまま。 人生はうつろいやすく、はかなく、あとにはなにも残らないと知っていますし、人生をまったくちがうふうにとらえる人たちがいることも、知っているからです。 それでもなおそこを目ざすのは、蚕が繭をつくるのと同じように、なにかがわたしをそうさせるから。 あわれな蚕は、たとえ完成させられなくても、繭をつくりはじめなくてはなりませんし、やはりせっせとはたらきます。 そうしてその仕事をやりとげられなければ、羽化することはできず、報いられることなく死んでいきます。
 いとしいハーニャ、どうかわたしたちが、それぞれに自分の繭を紡いでいくことができますように。 「なぜ」とか「なんのために」などと、問うことなく。


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