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「東京プリズン」赤坂真理 [読書・美術]

「東京プリズン」赤坂真理

敗戦   原爆    ホロコースト    give me chocolate 
キリスト    宗教    戦争    神    天皇    憲法    
戦争責任     国民    象徴    男    女    
神話    英語    日本語    キリスト教    復活 




何故?

に封をしたまま、「なぜ?」とも「わからない」とも口にしないままきた数々のことが、この本では、つなぎ合わされて、畳みかけるように出てくる。

特に、最終章のうち「1981年4月4日 最終弁論ふたたび」、この本の最後の10ページは、すごい。
「天皇の戦争責任」についての弁明

こんな風に、強く論じられたら。

「東京プリズン」赤坂真理




読んでいて、ところどころで昔を思い出した。

ひとつは、日本語を土台に思考しながら、アメリカ人のふとしたのいいまわしに、なるほど、と感心したり、面白くて笑っちゃったり、という感じ。主人公と一緒に、そうそう、と思い出した。


もう一つ思い出したのは、すでに解体されてしまった母方の実家。
大正~昭和初期に建てられた木造2階建ての日本家屋だった。

門から玄関まで続く石畳。常緑樹の濃い緑の迫るアプローチ。
突き当り付近のナンテンの赤い実。
木框にすりガラスが嵌められた引分の玄関戸は、高い敷居をまたいで入るようになっていた。
土間の脇の飾り棚には獅子の置物があった。
正面に長い沓脱石があって式台があって、何段も上がるとやっと玄関ホール、と子どもの頃は感じた。
その広い玄関は、原則として祖父と客だけが使っていた。

玄関の間の脇に、応接室がしつらえられていた。
外観も内部もそこだけ洋館である応接室の中は、ひんやりと何も動かず空気まで緊張していて、家の一部だが生活の一部ではなかった。鍵もたいてい閉められていた。
いとこたちが集まってかくれんぼをするときにも、そこには入れない。

他の家族は、玄関ではなく基本的に勝手口から出入りしていた。
塀の中の低い木戸を開けて細い通路に入り、井戸の横を通って、勝手口へと向かう。
実家に帰省する母に連れられて行く私たち孫も、たいていはこのルートで家に入る。
勝手口はいつも鍵が開いていて、そこから大声で「こんにちはー」と叫びながらすぐに祖母が見える台所にあがった。



今は消えて、もうこの世にない空間。
主人公のように、夢の中で触れるだろうか。
















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戦争のプロパガンダ 10の法則 [読書・美術]

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戦争のプロパガンダ 10の法則 アンヌ・モレリ 永田千奈訳
ポンソンビー卿に学ぶ

第1章 「われわれは戦争をしたくはない」
第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
第3章 「敵の指導者(リーダー)は悪魔のような人間だ」
第4章 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
第5章 「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。
     だが敵はわざと残虐行為の及んでいる」
第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
第7章 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
第8章 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
第9章 「われわれの大義は神聖なものである」
第10章 「この正義に疑問を投げかけるものは裏切り者である」
ポンソンビー卿からジェイミー・シーまでの流れをふまえて



p.172
疑うのがわれわれの役目だ。武力行使のときも、冷戦のときも、漠とした対立が続くときも。





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現代思想入門 [読書・美術]

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千葉雅也著「現代思想入門」

現代思想の入り口をとっても明るい気持で読みました。
平易な言葉でめちゃくちゃシンプルに語ってくれようとする姿勢がとてもありがたい。

もう一回読んで、先に進みたい。




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晴天の迷いクジラ [読書・美術]

「晴天の迷いクジラ」 窪 美澄


「死んでしまったら何も話せないからなあ。話せる時間のあるうちに、なんでも。なんでもたくさん話したほうがいいんだ。・・・」(p.354)


うっかり雑に生きてしまうから、時々思い出さないと。






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檸檬  梶井基次郎+げみ [読書・美術]

木工作家 當眞嗣人氏の「八盆」
そのうちの「火」のお盆を
竣工のお祝いとして館山においていただくことになりました。

當眞氏の作品には、数年前にARTFACTORY城南島で行われた茶会で初めて触れ
今年5月に、丸善日本橋店の展示会でふたたび触れることができました。

丸善の展示会で購入したお盆「火」は、
数週間後に丁寧に面取りを施された木箱に入れて
當眞氏自身がご持参下さいました。

その数週間の間に當眞氏からの絵葉書が一通。
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絵葉書には「火」のお盆とは異なる魅力を持つ端正な六角形のお盆に檸檬が一つ。

當眞氏がお盆「火」をもってこられた際、
絵はがきから受けた涼し気で上品な印象を伝えたら
「丸善での展示会だったので、梶井基次郎の’檸檬’を思いこの絵葉書をつくりました」
と。
 


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梶井基次郎の’檸檬’。

以前読んだときには、
憂鬱、焦燥感、不安、しんどい、背を向けてる、青い、狂気
といった読後感だけしかなく
勘弁してよ、と思っていた作品でした。

今一度手にしたこの本は文字だけでなく
「げみ」という方の絵がついていました。

挿絵がついているというより絵本と言ってもよいかと。

その絵が、憂鬱の中に見え隠れする小さいけれど強く輝く色彩を
取り出して見せてくれたような印象です。

’檸檬’はこのげみの絵とともに読むことをお勧めします。


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ピピロッティ・リスト Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島- [読書・美術]

槙文彦先生設計、京都国立近代美術館を訪れました。

何度も京都にいっているのにまだファサードしか知らない、
というのではだめね、一度は入っておきたい、と。


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なんとエントランスに白くパンツやブリーフが、はためいている。
うーん、なんだ? すごいな京都。

建物に入るとすぐエントランスホールの大空間。
ディテールが繊細で、なんだか懐かしい。
青山のスパイラルが竣工したころを思い出す。

一方、展示については、今回は「建築」を訪れるついでに
展覧会もさっくり30分ほどでみる、というつもりだったので
何も調べていませんでした。

展覧会は以下のとおり

「ピピロッティ・リスト Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2021/441.html


「さっくり見る」ような生易しい展覧会ではありませんでした。

展覧会場には靴を脱いで入る 
裸足で進む
暗闇を歩く
各展示室では、クッションに寄りかかって寝そべったり、仰向けになって作品を見る

そんな中で、美しいがぎょっとするような映像作品を見ていくことになります。

映像の中に自分が取り込まれてしまう空間もありました。
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大学時代、「美術館」が設計課題として出されて、
「寝そべって作品を鑑賞するような空間にしたらよくない?」などと
学生の気楽さとともに夢想していました。
それ、今目の前にある。
しかも映像作品と相まってずっと、強烈。

想像したことは、いつか実際に起こることなのかも。








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ト二・モリスン [読書・美術]

年明け早々に現場へ。

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外壁3面ほぼ終了。
帰りの車中では本がたっぷり読める。

・・・・ジョーンズは一目で少女が誰だかわかった。子供だったら誰でも持っている表情が、その顔にあった。五セント銅貨のようなまあるい目。大胆でそのくせ疑い深い。大きくて強そうな歯並びが、ノミで彫ったような開いた唇のあいだから見えている。頬の上あたり、鼻柱をまたいで、傷つきやすい性質が感じられる。それから肌。無傷で無駄がない。骨を覆うのにきっかり必要なだけの皮膚がぴんと張って、微塵のたるみもない。十八か十九のはずだけど、と十二だと言ってもおかしくなさそうな幼い顔を見ながらレディ・ジョーンズは思った。・・・・大人の知恵がつく前の子供たちにかげろうのように漂っている、間違えようのない愛を求めている表情。
   「Beloved」 トニ・ モリスン (著) 吉田 廸子(訳) より

「青い目がほしい」でデビューをしたト二・モリスン。
2019年没。

会ったことはもちろんないのに、この著者がすでに死んでしまったことに深い喪失感を覚える。

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Madame Curie(2) [読書・美術]

Madam Curie  エーヴ・キュリー著 河野万里子訳 より

 実験に思わしい結果が出ないと、マリーは不幸に打ちのめされたようになった。 背中を丸めていすにすわり、うで組みをしてうつろな目をし、急に田舎の老婆になったかのように見える。 なにか大きな不幸のために、嘆いて口もきかなくなった老婆のように。 研究員たちはそんなようすに気づくと、事故か、なにかとんでもないことでも起きたのかと思い、どうしたんですかとたずねる。 するとマリーは沈うつに、すべてをひとことにして言う。「アクチニウムXを沈殿させることができなかったんです・・・・・」 公然と敵を非難することもあった。 「ポロニウムがわたしをきらっているんです」
 だがうまくいくと、心も軽く、うきうきする。 そうして元気いっぱい庭に出て、バラにも菩提樹にも太陽にも、「とっても幸せ!」と言ってまわりたいかのようだ。 科学と仲直りをし、すぐに笑いだしたり感嘆したりする。

 
半世紀以上前に家を飛び出し、米国に渡ってユダヤ系ポーランド人と結婚した叔母がいる。
その叔母が今年米国で生涯を終えた。
米国で散骨され、日本に帰ることのなかった叔母の遺品を整理していたら、古びた本の中から、子どもの描いた絵が出てきた。
疾走する少女の絵。
描いたのは叔母。
本は「キュリー夫人伝」だった。

図書館で新しい訳本を借りて読んだ。
あの絵を見なかったら、死ぬまで読むことなく終わるところだった。

読むことができて本当によかった。







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Madame Curie [読書・美術]

Madam Curie  エーヴ・キュリー著 河野万里子訳 より

非凡な業績を前に、ためらいと、諦観と、謙そんに終始した彼女自身は、ほんとはそれを、どのように思っていたのだろうか?

〈マリー・キュリーより姪ハンナ・シャライへ 1913年1月6日〉

・・・私はどの時代でも、人はおもしろく有意義な人生を送れると思っています。 肝心なのは、与えられた人生をむだにせず、〈わたしは自分にできることはやった〉と自分自身に言えるようにすること。 
周囲もそれ上は要求できませんし、ささやかな幸福を手にするためにも、これはただひとつの道です。 
 去年の春、うちの娘たちは蚕を飼いました。 わたしはまだとても体調が悪くて、何週間もなにもできず、蚕が繭をつくろのをじっと観察していたのです。 それがとってもおもしろかったの。 活発でいっしょうけんめいな蚕たちが、熱心に我慢強く繭をつくっていくようすには、ほんとうに感動しました。 そうして「わたしも同じ仲間だわ」と思ったのです ー 仕事に対しては、わたしのほうがずっと手ぎわが悪いとしてもね。 蚕たちと同じように、私もいつもひとつの目標にしんぼう強くむかっています。 そこに真実があるという確信は、少しも持てないまま。 人生はうつろいやすく、はかなく、あとにはなにも残らないと知っていますし、人生をまったくちがうふうにとらえる人たちがいることも、知っているからです。 それでもなおそこを目ざすのは、蚕が繭をつくるのと同じように、なにかがわたしをそうさせるから。 あわれな蚕は、たとえ完成させられなくても、繭をつくりはじめなくてはなりませんし、やはりせっせとはたらきます。 そうしてその仕事をやりとげられなければ、羽化することはできず、報いられることなく死んでいきます。
 いとしいハーニャ、どうかわたしたちが、それぞれに自分の繭を紡いでいくことができますように。 「なぜ」とか「なんのために」などと、問うことなく。


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「ペスト」 [読書・美術]

カミュ「ペスト」は

以前にも読んだことがあったはずだった。


「ペストがその深い意味において追放と離別であった」

という意味を、
世界中の人、私たちの身に起こった
まさにそのこととして、
理解できることになるとは想像していなかった。

新型コロナウィルスの感染が
世界で拡大し続けている。




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