目黒区役所 村野藤吾設計 [建築]
目黒区役所。
ここ数か月間、何度も通って
本日、一連の申請手続きがようやく一段落した。
一体この庁舎建築は。
じっくり味わいたいと思いながらここまで「お仕事、お仕事」と言い聞かせてきて、
やっと年末を無事に迎えられそうとほっとして、今日は区役所内をゆるゆる散策。
エレベーター最上階のさらに上のボタン、「屋上庭園」というのがずっと気になっていたので
まずはエレベーターに乗って「上へ」のボタンを押し、一度も上がったことのない屋上へ。
やはり。
建築家村野藤吾の設計でした。
屋上庭園です。公共施設とは思えない立派な松。
独特な外観も、人影のない屋上庭園の存在自体にも強い意志を感じた.
が、初めて来たとき以来、訪れるたびに目を見張るのは、
建物全体の中心に位置する日本的な中庭、池、それをぐるりと囲む回廊、
そしてそこに突き出している鋭く深い庇と極限的に薄いコンクリートスラブの濡れ縁のある和室のありようだった。
庁舎の案内板を見ると、和室はだれでも予約もなく自由に利用できる様子。
ふらっと立ち寄りゴロンと横になって休憩だってできるはず。
でも、しんとした一角にあるその空間の空気は、ひんやりした緊張感のある、まるで茶室です。
一体庁舎としてこれを設計するとはどれほどの思い入れと気迫なのか、と度胆を抜かれた。
実はそもそもこの建築は庁舎として設計されたのではなかった。
かつては千代田生命保険相互会社の本社ビルであった。
1966年(昭和41年)に竣工している。
それが、2003年(平成15年)に区の総合庁舎として再生したとのこと。
庁舎ではなく、民間会社の本社ビルだった、と確認できた時なぜか少しほっとした。
同時に、再生されて、今も生き続けているこの建築の生き様と
再生させて使い続ける目黒区と、いずれに対しても深い敬意の念をおぼえた。
一方、同時代に村野藤吾が設計した横浜市庁舎(1959年竣工)は。
横浜市新庁舎の建設が進み、来年2020には新庁舎への移転が決まっている。
そして既存の庁舎については、「保存再利用の方針」が昨年あっという間に翻り、
今や既存解体後の「跡地」利用について取り沙汰される。
「観光」とか「集客」とか「賑わい」とか。
文化的なLEGACY(遺産)よりもカジノですか、と
うっかり関係ないことまで引っ張りだしてきて突っかかりたくなる。
壊すのは簡単。
年末最後によい建築といられたことは、心が安らぐことでした。
来年もなんとか生きていけますように。
ここ数か月間、何度も通って
本日、一連の申請手続きがようやく一段落した。
一体この庁舎建築は。
じっくり味わいたいと思いながらここまで「お仕事、お仕事」と言い聞かせてきて、
やっと年末を無事に迎えられそうとほっとして、今日は区役所内をゆるゆる散策。
エレベーター最上階のさらに上のボタン、「屋上庭園」というのがずっと気になっていたので
まずはエレベーターに乗って「上へ」のボタンを押し、一度も上がったことのない屋上へ。
やはり。
建築家村野藤吾の設計でした。
屋上庭園です。公共施設とは思えない立派な松。
独特な外観も、人影のない屋上庭園の存在自体にも強い意志を感じた.
が、初めて来たとき以来、訪れるたびに目を見張るのは、
建物全体の中心に位置する日本的な中庭、池、それをぐるりと囲む回廊、
そしてそこに突き出している鋭く深い庇と極限的に薄いコンクリートスラブの濡れ縁のある和室のありようだった。
庁舎の案内板を見ると、和室はだれでも予約もなく自由に利用できる様子。
ふらっと立ち寄りゴロンと横になって休憩だってできるはず。
でも、しんとした一角にあるその空間の空気は、ひんやりした緊張感のある、まるで茶室です。
一体庁舎としてこれを設計するとはどれほどの思い入れと気迫なのか、と度胆を抜かれた。
実はそもそもこの建築は庁舎として設計されたのではなかった。
かつては千代田生命保険相互会社の本社ビルであった。
1966年(昭和41年)に竣工している。
それが、2003年(平成15年)に区の総合庁舎として再生したとのこと。
庁舎ではなく、民間会社の本社ビルだった、と確認できた時なぜか少しほっとした。
同時に、再生されて、今も生き続けているこの建築の生き様と
再生させて使い続ける目黒区と、いずれに対しても深い敬意の念をおぼえた。
一方、同時代に村野藤吾が設計した横浜市庁舎(1959年竣工)は。
横浜市新庁舎の建設が進み、来年2020には新庁舎への移転が決まっている。
そして既存の庁舎については、「保存再利用の方針」が昨年あっという間に翻り、
今や既存解体後の「跡地」利用について取り沙汰される。
「観光」とか「集客」とか「賑わい」とか。
文化的なLEGACY(遺産)よりもカジノですか、と
うっかり関係ないことまで引っ張りだしてきて突っかかりたくなる。
壊すのは簡単。
年末最後によい建築といられたことは、心が安らぐことでした。
来年もなんとか生きていけますように。